今日4月25日は尾崎豊の命日です。
1992年の4月に亡くなったので、もう30年以上も経っているのですが、当時は中学一年でクラスメイトに尾崎好きがひとりいたんですが、相当ショックを受けていたのを今でも覚えてます。
そこで、今日は尾崎を代表する一枚を紹介しつつ書いていこうと思います。
尾崎を代表する一枚と言えば・・・

尾崎 豊
十七歳の地図(レコードデビュー40周年記念)
2023年
この一枚です。
(私が所有しているのは、2023年にデビュー40周年を記念して発売された記念盤)
まぁ、あんまり異論は無いと思うんです。
1983年リリースのファースト・アルバムにして、ベストと言っても過言ではない一枚。
マジで捨て曲が無いです。

- A1:街の風景 = Scenes Of Town
- A2:はじまりさえ歌えない = Can’t Sing Even The Beginning
- A3:I Love You
- A4:ハイスクールRock’n’roll = High School Rock’n’roll
- A5:15の夜 = The Night

- B1:十七歳の地図 = Seventeen’s Map
- B2:愛の消えた街 = Loveless Town
- B3:Oh My Little Girl
- B4:傷つけた人々へ = To All That Hurt
- B5:僕が僕であるために = My Song
尾崎はJ.BOY
尾崎が強い影響を受けたと言われている歌手は多く、その中に浜田省吾も入っています。
作品の匂いに共通点を感じたプロデューサーが、この「十七歳の地図」のレコーディングの時に、浜田省吾のツアーバンドを入れたというのは有名な話です。
一時期、浜田省吾の在籍するROAD & SKYにも所属していたぐらいです。
そんな二人の逸話で有名なのが、
浜田省吾がアルバム『J.BOY』のレコーディングを終えて、ニューヨークに遊びにいった時、その頃ニューヨークに滞在していた尾崎豊と食事をすることになり、出来たばかりの『J.BOY」を聴かせたところ、尾崎が「コレは僕のことを歌っているみたいだ」と言ったら、「君を思って書いた曲だ」と答えたと。
これすごい話ですよね。
確か、浜田省吾のファンクラブ会報か何かに書いてあったとかで、結構有名な話です。
ということは、
「J.BOY」を最初に聞いた人は尾崎豊ということになるんですかね。
アルバムジャケットのモデルは尾崎なのか
仮に浜田省吾がいう「君を思って書いた曲だ」というのが本当だとすると・・・
J.BOYのジャケット写真が尾崎に見えてくる。


どことなく似ているというか雰囲気はそっくりと言うか。
おわりに
最後に二人の関係性がわかるエピソードをもうひとつ紹介しようと思います。
サングラスがトレードマークとなっている浜田省吾ですが、吉田拓郎に「サングラスを取りなさい(もしかしたら「外しな」だったかも)」と言われても頑なに外さなかったそうですが、尾崎豊に「サングラスを外してください」と言われたら“簡単に”外したみたいです。
これは人から聞いた話なので、吉田拓郎のところなんかは本当かどうか分からないですが、
尾崎が言ったら“外した”のは本当らしいです。
そんなエピソードもあるぐらいなんだから、尾崎豊はやっぱり“本当の”J.BOYなんだと思います。
レコード情報
尾崎 豊 – 十七歳の地図(レコードデビュー40周年記念)
リリース:2023年
レーベル:ソニーミュージック
規格:12インチ LPアルバム
stereo 33RPM
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